
川淵三郎
(6)最新刊
Jリーグ初代チェアマンとして日本にプロサッカーを根付かせ、日本サッカー協会会長も務めた川淵三郎氏の読売新聞インタビュー連載。選手時代からJリーグ創設、協会幹部として果たしたリーダーシップのほか、男子バスケ界の改革に奔走した日々までを回顧する。大阪府内の高校で部員不足に悩む友人に誘われてサッカーの道に入り、大学4年時に日本代表として欧州遠征した時に西ドイツで見た、充実した施設で老若男女がスポーツを楽しむ光景が後のJリーグ創設への原風景となった。卒業後は古河電工に進み、1964年の東京五輪にも出場。引退後、日本サッカーリーグ(JSL)の運営責任者、プロリーグ設立準備室長などを歴任し、1991年11月のJリーグ発足とともに初代チェアマンに就任した。企業名の呼称問題やヴェルディ川崎(当時)の移転問題など論争を呼んだ案件を回想し、日本サッカー協会幹部として経験した「ドーハの悲劇」後の代表監督人事の迷走や岡田武史監督選定に至った舞台裏なども生々しく語る。2006年W杯での1次リーグ敗退を受けた辞任要求デモや自宅への嫌がらせ、13年の都知事選への出馬要請、リーグ分裂で混迷していた男子バスケ界の統合問題など、座右の銘「斃れて後已む」を地でいくような激動の回想録は日本のスポーツ界をめぐる貴重なオーラルヒストリーだ。 目次 (1)コロナ下 五輪パラ大役 (2)運動好き 父ゆずり (3)恩師と出会い放送劇に (4)友に誘われサッカー部 (5)都市対抗予選に手応え (6)西独遠征 Jリーグ原点 (7)クラマーさんの特訓 (8)古河電工入社 五輪狙う (9)五輪初戦 勝っても猛省 (10)意中の人 先頭車両に (11)33歳で引退 指導者へ (12)若返り願い代表監督に ほか