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近代日本言語史再考 Vーーことばのとらえ方をめぐって
(2024/12/20)日本において「国語」はあって当然のようにみなされてきた。しかし、多言語社会日本を考える際には、こうした考え方を相対化し、より柔軟な多言語へのまなざしを見出していく必要がある。つまりは、「国語」からはみえないものへの視線をとりだすことが必要とされる。 なにかを「とらえる」ということは、意志的なものであり、みたくないものはみない、みたいものだけをみる、ということだ。本書は、歴史的に「みえない」ものとされた、そして現在も日本社会で「みえない」ものとされていることばたちを念頭におき、「みる」側の構図をえがきだす。 [目次] はしがき xv 序章 「国語」からみえるもの / みえないもの 1 1 はじめに 1 2 国語ということば 2 3 国語と国家と政策とー国語調査委員会 6 4 国語政策と方言、そして多言語性 8 5 日本語政策 12 6 おわりにー多言語へのまなざし 16 注 17 第一章 ことばをどのようにみようとしてきたのかー近代日本における「言語学」の誕生 19 1 はじめに 19 2 「博言学」ということば 23 3 帝国大学言語学 38 4 比較言語学への懐疑 48 5 まとめにかえてー日本言語学のもうひとつの形 56 第二章 「言文一致」がみえなくすること─作文・日記・自伝 67 1 はじめに 67 2 日記をつけることは伝統か 71 3 作文教育のあり方 74 4 作文教育の延長としての日記 85 5 日記教育の事例ー南弘の娘の日記 89 6 おわりに 95 第三章 虐殺とことばー関東大震災時朝鮮人虐殺と「一五円五〇銭」をめぐって 103 1 はじめに 103 2 証言のなかの「一五円五〇銭」 113 3 壺井繁治「十五円五十銭」をめぐって 121 4 おわりにーあらたな流言に対処するために 129 第四章 となりの朝鮮文字 141 1 はじめに 141 2 関東大震災と朝鮮文字 146 3 男子普通選挙と朝鮮語・朝鮮文字 152 4 おわりに 158 第五章 朝鮮人の言語使用はどうみえたかー村上広之の議論を中心に 163 1 はじめに 163 2 村上広之という人物 167 3 村上広之の論理 179 4 おわりに 188 第六章 「ひとつのことば」への道からみえるものー斎藤秀一編『文字と言語』をめぐって 201 1 はじめにー復刻にあたって 201 2 方言の問題について 215 3 斎藤秀一の言語観ー唯物論言語理論の影響 228 4 中国のローマ字運動への関心 246 5 斎藤秀一の情報網 284 6 おわりに 286 第七章 「ことのはのくすし」は何をみていたのかー陸軍軍医監・下瀬謙太郎をめぐって 307 1 はじめに 307 2 下瀬謙太郎略歴 311 3 中国と医学 318 4 言語問題の前線へ 326 5 中国の文字改革への興味 331 6 医学用語統一への道 351 7 おわりに 371 第八章 漢字廃止論の背景にみえるものー敗戦直後の労働争議とからめて 391 1 はじめにー敗戦直後の漢字問題 391 2 「漢字を廃止せよ」と『読売報知』 396 3 「漢字を廃止せよ」の内容 400 4 「漢字を廃止せよ」のゆくえ 409 第九章 スターリン言語学からみえるものー民主主義科学者協議会編『言語問題と民族問題』をめぐって 419 1 はじめに 419 2 スターリン「言語学におけるマルクス主義について」 421 3 模倣されるスターリン 440 4 おわりに 452 終章 「やさしい日本語」がみおとしているもの 465 1 はじめにー社会変動と言語 465 2 語られない多言語社会 470 3 「やさしい日本語」は使われるのか 479 4 おわりにかえて 484 あとがきー初出一覧 489