塚本昌則
(4)最新刊
写真文学論 見えるものと見えないもの
(2024/06/21)写真がその成立に大きな役割はたしている文学作品ーー写真文学ーーとは何かを探求する。ローデンバック『死の都ブリュージュ』、ブルトン『ナジャ』、モディアノ『ドラ・ブリュデール』、デュラス『愛人』、ゼーバルト『アウステルリッツ』などの主要作品からその核心に迫る冒険の書。 【主要目次】 はじめに 序章 写真文学とは何か 1 小説の危機と写真文学の誕生 2 顔の物語 3 言葉のイメージと写真イメージの交点ーー風景としての人間 4 顔の消滅、顔の出現ーー写真文学の世界へ 第1部 顔、風景、ドキュメントーー写真の中の見えないもの 第1章 風景写真の使用法ーージョルジュ・ローデンバック『死の都ブリュージュ』(一八九二) 1 無人の街路ーー風景写真の使用法 2 写真都市ブリュージュ 3 絵葉書とは何か 4 出現のモチーフ 第2章 肖像写真の使用法ーーアンドレ・ブルトン『ナジャ』(一九二八、一九六三) 1 肖像写真の使用法1ーーヒロインの顔を示さないこと 2 「取り乱した証人」 3 肖像写真の使用法2ーー男たちの写真 4 風景写真の使用法ーー凡庸さの外観、扉としての写真 第3章 ドキュメント写真の使用法ーー谷崎潤一郎『吉野葛』(一九三一、一九三七) 1 「初音の鼓」ーー『吉野葛』における写真の使用法 2 虚構の手紙の写真 3 手帳の写真ーーW・G・ゼーバルト「アンブロース・アーデルヴァルト」をめぐって 4 写真は実物に似ているのか 第2部 空白のスクリーン、不在の写真 第4章 戦争の記憶、空白のスクリーンーージョルジュ・ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』(一九七五)、パトリック・モディアノ『ドラ・ブリュデール』(一九九七) 1 子供の写真ーー空白の部屋(ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』1) 2 偽りの記憶ーー批評的自伝(ペレック『Wあるいは子供の頃の思い出』2) 3 透かし模様のスクリーン(モディアノ『ドラ・ブリュデール』1) 4 ドラの顔(モディアノ『ドラ・ブリュデール』2) 第5章 不在の写真ーーマルグリット・デュラス『愛人』(一九八四)、アニー・エルノー『娘の回想』(二〇一六) 1 「絶対の写真」ーー行為としての写真(デュラス『愛人』1) 2 「絶望の写真」ーーイメージの場所(デュラス『愛人』2) 3 撮られなかった写真ーーエルノーの場合(『娘の回想』) 4 写真が作り出す現実ーーアニー・エルノー『写真の使用法』 第6章 記憶の想起と写真ーーW・G・ゼーバルト『アウステルリッツ』(二〇〇一) 1 迷子の写真ーー主人公の肖像写真 2 リヴァプール・ストリート駅の情景ーー見えない写真 3 『アウステルリッツ』と『失われた時を求めて』ーー見出された時と写真の使用法 4 母親の肖像 第3部 日常生活と写真 第7章 日常礼讃ーーロラン・バルト『ロラン・バルトによるロラン・バルト』(一九七五) 1 伝記素ーー私的な生活 2 写真と俳句 3 「存在の増幅器」としての写真ーージル・モラ/クロード・ノリ『写真宣言』(一九八二) 4 肖像写真に写らないもの