大井玄
(5)最新刊
看取りとつながり:認知症高齢者に寄り添う医師が観察する、科学と仏教の出会い
(2023/06/30)生老病死をありのままに受けとめ、 幸せに満たされて生きる。 あらゆる存在は他者と相互に関係し合い、つながり合っている。 つながりが実感できれば、不安はなくなり幸福になるー 慈悲のまなざしで人々の一生を見つめ、 手を差し伸べてきた看取りの医師による 科学と仏教に見出した幸福の法則。 【本文より】 ◆仏教は安心できる教え 宗教のもっとも根本的な働きは安心させることでしょう。安心とは、生老病死の人生の中で、つながりの感覚を作っていくことです。 実はわたしたちのつながりの感覚というのは、もともと持っているものではなく、学ばれていくものです。学ばれて、だんだん失われていく。これが生老病死でもっとも大変なところです。 ブッダが言ったのは「生きることは苦である」ということであり、「その苦から解放されるためには、苦自身の中にあれ」ということでした。つまり生老病死という苦から逃げるのではなくて、それ自体を受容できるよう自分自身が変容せよ、と言っています。非常にはっきりしています。 わたしは科学を言葉によって理解していますが、実際には坐禅をすることを通じても、自分は宇宙の中の星の子だということを無分別知的に納得し、了解しています。 銀河系宇宙となりて坐りおり 看取り医として、わたしが仏教に親和性を感じているのは、科学者の端くれとして見ている宇宙像と、人間像と、意識、無意識、そういうものを仏教はすべて包摂しているからです。 ニュートン力学の時代、ものごとは離れていて、それがぶつかったり離れたりするというような考え方でした。ものごとを観測するときにも、ニュートンやデカルトは対象と観測する自分を分けて考えていました。 ところが量子力学になって、宇宙というのは全部つながっていることがわかりました。宇宙全体が相互に結びついている、相互浸透していることがわかったのです。 これは仏教の相依相関とまったく同じです。 だからアインシュタインも「仏教は自分の考えることと合っている」と言ったのでしょう。その気持ちは理解できます。 わたしにとっても、仏教は安心を与えてくれる「心の科学」なのです。 【本書の内容(目次より抜粋)】 第一章 看取りの医師として ・患者と関わり、手を差し伸べるということ ・認知症であっても意思決定できる ・幸せな高齢者とは? ・病気を持っていても健康、健康でも病気 ・死と向き合うこと 第二章 科学と仏教 ・仏教的存在論 ・西洋哲学の思想について 第三章 神との合一 ・母と祈り ・薬害エイズ問題と祈り 第四章 日本の仏教は生きている人の力になれるのか ・仏教理解 ・日本仏教と民衆のつながり ・アメリカ仏教 ・葬式仏教から生活仏教へ 第五章 仏教とつながり ・宗教と宇宙 ・つながりと安心 ・心の働きと宗教 第六章 精進の果てに ・入院と、不思議な世界体験